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2010年2月22日 00:00

[対談:小暮真久×影山知明]

対談:変わりゆく価値観のなかで 3/3

「感謝される」ということと「好き」ということ

(影山)
以前から知っている自分から見ると、小暮さんの印象が変わってきたように感じています。かつては、「社会のために」というようなことを、それほど声高に言うタイプではなかったように思うのですが?

(小暮)
そうかもしれません。
いまの自分、「理想主義者であるか」と聞かれれば「はい」と答えるとは思います。かと言って、ガンジーやマザー・テレサのように求道者的かといえばそうではない。
TFTをやっていていいなと思うのはもっと具体的で、「感謝される」ことや、「自分自身、この仕事が好き」と感じられることです。共鳴できる人たちとみなでガヤガヤやっていけるということ自体、途中でのくだらないことも含めて、とても幸福な作業であると感じています。例えば国連や国際機関に行けば、ひょっとしたらもっと大きいことができるのかもしれませんが、そうした場所では得られない手応えのようなものもあると思います。

(影山)
自分は大学時代のあだ名が「偽善者」でした(笑)。口ではキレイなことを言っているけど、お腹の中では違うことを考えているんだろ、というような。ただ自分も、生家を建て替えて、クルミドコーヒーのような活動を進めてくる中で、どんどん自分の中の「善なるもの」が引き出されてきているような感覚も覚えます。小暮さんには、そのようなことはありませんか?

(小暮)
そうですね。例えば「言霊」のようなもの、ありますよね。何か発する言葉が新しい仲間を引き寄せてくれたり、またその言葉が自分自身に帰ってきたり。言葉や行動が、結果的に動機を引き出してくれるようなこと、あるのかもしれないと思います。

カネとヒトを調達するための方法はまだまだあるはず

(影山)
若い人の職業選択という意味で、社会事業はどうでしょうか。まだまだ現実的には現在の職を辞めて移る、というところにはハードルがあると思いますが、多くの人が関わりたいという気持ちは持ってくれているように思います。

(小暮)
そうですね。まずすぐにでもできることとして、「出向」という制度を実現できないかと思っています。費用を会社側に持ってもらう形で、半年から1年程度、人材を出向させてもらうようなことができないかと。「うちはお金ではなく、人を出しているんだ」とアピールをしてもらうひとつの材料にもなるんではないかと思いますし。
ただ、これまでにも少し相談をしてきた中で、前例がないからこその難しさを感じてもいます。フリースタイルが苦手と言いますか・・・。ですので、経団連など、どこかがそういう制度の取りまとめをしてくれると、一気に事が進むのかもなと思うのですが。

(影山)
企業側がより積極的になるために、人材を派遣することのメリットのようなものがもう少し明確になるといいのかもしれませんね。

(小暮)
そうですね。例えば、少し大ぐくりな議論になってしまいますが、マクロに見て今、商品が売れにくい時代になっていますよね。でも、少し高くてもTFTのメニューを選んでくださる方もいらっしゃるわけです。そうした消費者心理のようなもの、モノ以外の価値観をどう伝えていくかというようなこと、TFTに参加していただくことで持ち帰っていただけるもの、あるとって思います。
そしてこうした例が定着していくためにも、最初のケースが成功事例にならないとダメだと思います。そのためにも、是非20代で、会社の中でもホープと呼ばれているような方に参加してもらえたらと、勝手に想像しています(笑)。

(影山)
なるほど。事業をつくりあげていくための資本ということでいうと、人以外にお金も重要だと思うのですが、今後の社会事業を考えたとき、500万円であったり1,000万円であったりといった、それなりの塊の資本を調達できるようになるために、どのような仕組みがあればいいとお考えですか。

(小暮)
アメリカだと財団の存在、役割が大きいのだと思います。日本でもやはり期待したいところですが、申請や報告の作業量が大変という印象があります。また、個人・エンジェルからの寄付や賛助金にも期待をしたいわけですが、そういう行為をまわりが称賛する文化がまだあまりないようにも思います。例えばソニーの大賀さんが退職慰労金16億円全額を軽井沢に寄付したというような事例もありましたが、メディアもあまり取り上げなかったような印象があります。(参考:http://www.47news.jp/CN/200306/CN2003061101000118.html)。

(影山)
TFTの立ち上げチームは、ダボス会議からの流れもあり、かなり豪華な顔ぶれでもあったと思います。それでも創業資金の調達には苦労したのでしょうか。

(小暮)
はい。当時のTFTに資金を出すということは運営費にお金を出すということになるわけです。そのことへの抵抗感は強かったように覚えています。「給食センターをつくるので」というような使い道であれば分かりやすいのだと思いますが。いまだに資金の出し手の多くは、「ボランティアなのだから、運営費/人件費は自分たちで」というイメージを持たれている方が多いのではないかと思います。
ただ、そういったものも、まさにいま転換点に差し掛かってきているとも思います。例えば自分より上の世代と下の世代とでは、随分価値観が変わってきているように感じますしね。ある閾値を超えていければ、一気に変わるかもしれないという感覚は持っています。
若い人から見て「かっこいい」と感じられる「おじさん」のイメージが、高級車に乗って、夜な夜なシャンパンを飲んでいる人ではなく、アフリカに行ってがんばっている人に変わっていく可能性は十分あると思います。

(影山)
そうですね。最後にひとこと、メッセージをいただけますか。

(小暮)
最近、座右の銘として「想い」という言葉をよく書かせてもらっています。自分自身、大切にしたい言葉だし、社会事業を支えているものも最終的には想いだと思うので。
これまでの日本は、「会社が言うことだから」「社会の仕組みがそうだから」ということで受け入れてきてしまった事柄が多いように思いますが、「これって変だよね」というようなことが、もっと普通に言えるようになっていけばいいなと思っています。
もっと多くの人が、自分の「想い」にしたがって動けるようになり、自分もそうしたことのお手伝いをできたらいいなと思います。

(影山)
本当にそうですね。ありがとうございました。


2010年2月10日 15:55

[対談:小暮真久×影山知明]

対談:変わりゆく価値観のなかで 2/3

これまでのなかでは、幸せ度でいえばマックスに近い

(影山)
TFTへの最初の出社日はどうでしたか。

(小暮)
自分の役割は「運営の基盤をつくること」でした。「とにかく、採用してくれる企業を増やさないと」という思いでしたね。日中は自分が営業に出て、夜はミーティングという毎日でした。周りにNPOの人たちもいたので、分からないことがあれば、その人たちに聞いていました。

6月にTFTを本格的に始めて、3ヵ月後に大連での大きな発表の機会が予定されていました。そこまでに何らか形をつくれればという思いでしたね。創業の理事メンバーとの会議を月に1~2回持ちながら、進めていきました。

(影山)
それ以外のところは、小暮さんが決めていたのですか。

(小暮)
理事会は理事会でありますので、自分でどこまで決めていいのか迷う部分はありました。その辺りのルールや進め方など、模索した時期でもありましたね。

(影山)
TFTに移られてから約2年が経過しました。ざっと振り返ってみて、いまの人生の調子はどうですか(笑)。

(小暮)
これまでの中で言えば、幸せ度マックスに近いですね(笑)。いまも経営的に大変な部分はありますが、最初の1年、なかなか先が見えない状況の方が苦しかったですね。採用企業が全然増えていかない時期もありました。まあそれでも常に「この仕事、おもしろいな」というのはありましたけどね。

1年くらいが経って、ちょうど今の事務所に引っ越してきた頃、ティッピングポイント(閾値)というか「ステージが変わったな」との感覚を持つようになりました。そのきっかけの1つは、2008年にメタボ検診が始まったことでもあったと思います。

また自分にとっては、今年1月にマラウィに行ったことも大きな転機になりました。マラウィは本当に貧しく、またエイズが蔓延していて、どうなっちゃうんだろうという国ではあります。でも人がよく、彼の国を訪れた人はみんなマラウィファンになるというくらい、何かがある国でもあります。中にはアフリカ1だというような人もいますね。でも貧しいのは事実で、自分やTFTはまだまだ力になれていなかった。支援金額も、ひとケタ、ふたケタ上げていかないと。そういう意味でTFTの活動に向けて、より腹の据わる、いい機会になりました。

自分自身を使うことによって、TFTに関心をもってもらう

また当時、本を書いていたこともあって、メディアを活用できたらと考え始めていました。社会起業家関連の本はすでにありましたけれど、ビジネス的なもの、ビジネスパーソンにも手にとってもらえるようなものはあまりないと思いましたので。自分自身が出ることで、TFTを知ってもらえるきっかけになるのであれば、そうしようと。実際にそのお陰もあって活動が広がり、マラウィに給食ステーションを建てることもできました。

(影山)
昨日(8月29日)はワールド・ビジネス・サテライトでも採り上げられていましたね。先日は取材で滝川クリステルさんにも会われたということですし。こうしてメディアに出るようになって、やはり営業など、大きく変わりましたか。

(小暮)
劇的に、ということではありませんけれどね。でも、「知らない」と言われることはかなり少なくなってきたと感じています。おかげさまで、知ってもらうための資料は少なくて済むようになってきました。
2010年2月1日 15:33

[対談:小暮真久×影山知明]

対談:変わりゆく価値観のなかで 1/3

マッキンゼーから松竹経由でTable For Twoへ

(影山)
今日は、小暮さんのパーソナルヒストリーから話をお聞きできたらと思います。
小暮さんの本『「20円」で世界をつなぐ仕事』を読んで一番印象に残ったのが、マッキンゼー米国オフィスでの仕事の当時、自分なりに達成感のあったプロジェクトの後、クライアントの社長から「本当のところは、君たちには分からないと思うよ。」と言われたという一節。これはどのような経緯でのことだったのですか、

(小暮)
東京オフィスから米国オフィスに移って、最初のプロジェクトこそよかったけれど、その後スランプの半年が続いていました。どうにもならない感じで、でもそれでもがんばれたのは、ニューヨークが楽しかったから、というくらいの状況で(笑)。

そうした中、最初の比較的順調にいったプロジェクトのマネジャーから声をかけてもらい、「お前がもっとできるのは知っている」と励ましてもらいながら取り組んだのが、その質問にあったプロジェクトでした。

そのクライアントは本社が日本にあり、米国法人の建て直しプロジェクト。当時、苦しい状況にありました。カルチャーも結構、人間味のある、感情を表に出すタイプの会社でしたね。密度の濃い充実した時間を過ごし、再生に向けてのいい提案もできたと思っています。実際、日本の本社からも「よくやってくれた」と言ってもらいました。

プロジェクト終了後、お誘いを受けたねぎらいの会の席で、米国法人の社長から「きっと私たちの気持ちの本当のところは、君には分からないと思うよ。」と言われたのです。ショックでしたね。自分なりの達成感があっただけに、なおさら。それ以上詳しくはおっしゃらなかったのですが、それはきっと「あなたたちは当事者ではないから。」というような意味だったのではないかと思います。

その後、東京オフィスに戻ってきましたが、どうしてもヤル気が出ず・・・。あまりにヤル気が出ないものだから、ミーティングの帰り、日比谷公園のベンチでぼうっと、なんてことすらありました。次は実業をやりたい。そんな気持ちが募っていったのです。

(影山)
それで松竹に移られたわけですね。
その先のお話、聞かせていただきたいと思いますが、その前にひとつ。個人的な興味も含めての質問を(笑)。
もし、いまマッキンゼーに戻って改めてコンサルタントになったとしたら、より結果を出せるという感覚はありませんか。

(小暮)
そうですね。松竹での経験、その後のTFT立ち上げの経験で、より視野が広がったということはあると思います。
ですが、TFTもある種ベンチャーと言っていいのだと思いますが、ベンチャーの立ち上げもそれはそれで独特ですからね。ひとつひとつをじっくり検証して間違えないことよりも、よりスピード感を持って取り組まないといけないことって多いですよね。そこはやはり大企業とは大きく違うところだと思います。
ただ「売上を立てる」というような金銭感覚について、より実感をもって捉えられるようになったという部分はあると思います。

(影山)
マッキンゼーの経験が役に立っていると感じるのはどういった部分ですか。

(小暮)
マッキンゼーで経験したことは、非常に役立っています。TFTの仕事の中でも、大企業の方たちと付き合うことが多いですしね。少なくとも彼らの仕事が想像できたり、ビジネス言語が話せたり、というのは、話をその先に進めるための必要条件ですね。

(影山)
松竹にいたのは1年半くらいだったと思いますが、辞めることには迷いはなかったですか。TFTがゼロからの立ち上げになるわけですよね。年収も・・・、ということもあったと思いますが。

(小暮)
1%ぐらいは迷いました(笑)。でもそれもジェフリー・サックスに会うことで吹っ切れました。自分のやりたいことを改めて紙に書き出していったときに、「これしかない!」、「この方向性しかない!」と思えたんですね。その気持ちは今もそうですし、だからこそ続けていけるといことがあると思います。

(影山)
松竹へ転職するときには、自分のところにも来てくれたし、色々な人に相談していましたよね。それと比べるとTFTを始めるときは、まわりにあまり相談することもなく、すごく踏ん切りがよかったような印象があるのですが。

(小暮)
そうですね。マッキンゼーのときには、分からないことがあるときは人に話を聞くのが当たり前でした。でも最後は自分の人生ですからね。自分の人生は自分にしか決められないのだと思います。

(影山)
そうですね。
松竹での1年半では、どのようなことを感じましたか。

(小暮)
マッキンゼーの会議が特別なものなんだということを知りました(笑)。もちろん単純な比較はできないのですが、大きな組織の中だと、会議の中でちょっとしたことでもなかなか決められない。逆に、夜の飲み会で物事が決まってたりして(笑)。いまTFTでもそのような部分、ありますけどね。

他には、総務や人事、健康保険組合など、マッキンゼー在籍時にはあまり出会うことのなかったセクションの方たちと仕事をできたのもいい経験でした。TFTを始めて、むしろそういう方たちとの接点が多くなっていますからね。

2009年12月8日 17:08

[対談:小暮真久×影山知明]

対談:小暮氏から見たアフリカ 3/3

(第1回を読む)
(第2回を読む)

アフリカと日本


(影山)
ビジネスマインドをもった現地の人たちが増えつつあるのですね。
では、日本企業にとって、アフリカでのビジネス・チャンスはありそうですか。

(小暮)
あると思います。
これは今回、タンザニア滞在中の話ですが、高校生に英語で突然話しかけられて、
「日本は広島と長崎に原爆を落とされた国なのに、なぜ核に反対しないの?」
と聞かれたことがありました。

そして、「将来は日本に留学したい」と言っている。
「なぜ?ハーバードとかじゃないの?」と聞くと、「車を作っているのは日本でしょ。
これからは技術の時代」と答えていました。

日本には多くの機会があると感じました。
自動車だけでなく、太陽光発電などもそうですね。アフリカは技術を求めています。
援助という形だけではなく、ビジネスとしての投資が必要なタイミング、そしてそれが十分ペイするようなタイミングになってきていると思います。
日本企業には、ビジネスを通じた国際貢献ができるチャンスがあります。

中国は天然資源があるところとアライアンスを組もうとする傾向があるように思います。
日本の場合、天然資源が豊富とは言えないなか、経済成長を遂げてきたこれまでの経験値があるわけで、そういう意味でも、アフリカの中でも天然資源に恵まれているわけではない国々は日本を求めているし、日本にとってのいいパートナーにも育っていく可能性があると思います。

例えばタンザニアは今、経済成長し、消費社会になりつつあります。
ですが、ここでもやはり、ゴミを処理する社会インフラが着いていっていないので、町中にゴミがあふれるという状況になってしまっています。
こうした領域でも、日本が持っている技術や考え方を伝えていくことで、力になれることが多々あると思います。

自動車製造・修理の技術を持っている中高年の方がその経験を教え、感謝されたら、日本の人たちも元気になるのではないでしょうか。
現地で工場を持ってもいいでしょうし、人材を日本に連れてきて教育してもいい。
日本に親しみをもっている人たちがここには確かにいるのですから。

哀れみのレンズで見ようとすると見えない現実

(影山)
なるほど。いろいろな可能性がありますね。
ただ現状がそういう状況になっていないとすると、なぜなのでしょうね。

道路や職業訓練、ゴミ処理システム等に資本が流れない現実があるというお話でした。
その背景には、投資に際してのアカウンタビリティ(投資資金の行方の見えやすさ)や生産性への不安があったりするということでしょうか。

(小暮)
現実にはずい分と変わってきていると思いますが、先ほども触れたように、多分にイメージの問題があるのだと思います。
現地の人の中には、メディアが取り上げる難民や内戦ばかりのアフリカ像に不満を持っている人も多くいます。
これには、日本からみた場合の地理的な遠さという要素も関係しているように思います。

「かわいそうな国」といった哀れみのレンズで見てしまうと、見えないものがあるのではないかと思います。

だからこそ今後、ビジネスパーソンが現地を訪ねる状況をつくることが重要だと考えています。
ビジネスをやっている人と相談していると、サステイナブル(持続可能)な状況をつくるにはどうしたらいい?
という話になります。そういう目で物事を見られる人たちが増えてくれば、資本の流れも変わってくるのではと期待しています。

これは個人的なアイデアですが、来年、南アフリカでサッカーのワールドカップが開催されることに合わせてツアーを企画できないかと考えています。いろいろなビジネス関係者と、アフリカでビジネスの機会を探すツアーを、ですね。いま現地側でもその受け入れに向けての準備を進めてもらっています。

中長期的に事業を回していくための環境づくり

(影山)
1年前に行ったときと今年行ったときと比べて何か変化はありましたか。

(小暮)
前回訪れたときは、もう少し感情的、個人的な感激を味わいました。
それと比べると今回は、もう少し冷静に見てくることができたのかなと感じています。
衣食住というベーシックニーズを満たしていく取り組みと同時に、その次のステージ、より自立的でサステイナブルな社会の仕組みをつくるという領域にも、挑戦の必要性と可能性とがあることを強く感じることができました。

(影山)
自分が知る限り、小暮さんは「小さい頃からアフリカや、海外援助に興味があって・・・」というタイプではないと思います。
でもこうした活動をするようになって今、小暮さんにとってアフリカとはどんな存在ですか。

(小暮)
その土地に降り立ってみて初めて分かる感覚があります。最初、アフリカの地に降り立ったとき「ここは合うな」と感じました。
例えば、つまらないことかもしれませんが、アフリカの人たちは、自分の名前(小暮真久)を正確に発音してくれます。

またよく言われることではありますが、「ここにはモノはないかもしれないけれど、モノではない何かがある」、そういう感覚を持つことも確かにあります。

TFTのいまの活動、それはそれでもちろん続けていきながら、その先に何があるのか。
これまでにもそのように聞かれることがありましたが、今回の旅を通じ、それが少し見えてきたように感じています。中長期的な自立に向けて、何ができるのか。
新しく見えてきたフィールドに、またわくわくしています。

2009年12月2日 14:07

[対談:小暮真久×影山知明]

対談:小暮氏から見たアフリカ 2/3

給食を出せる学校を全国に広げたい!

(影山)
写真は、思っていたよりも恵まれている環境のように思うのですが、実際のところはどうですか。
学校に通えるのは、どれくらいですか。



(小暮)
給食がないことで学校に通わなくなるという因果関係もあるようです。親としても通わせるインセンティブが弱くなるのでしょう。
そして、給食を出せている学校は、自分が知る限り多くはありません。
今回の写真のところをモデル地域にして、全国に広げていきたいと考えています。
ここから先は、中央政府と地方政府によるコミット次第だと思います。

またトイレの存在なども重要です。これまでは学校があってもトイレが共同であることが多かったようです。
そうすると特に女子が途中で離脱する確率が高くなります。女子用のトイレがあることが重要なのです。

(影山)
ここは、先ほどの学校と様子が違いますね。

(小暮)
ここは、個人の方が支援されている障害者とAIDS孤児のための学校です。
経営者は自分の車を売って、身銭を切って支援をしています。
例えば10万円の寄付があれば、2週間分くらいの給食になります。

しかし、自分が訪れたとき、学校の食料庫は空っぽでした。
子どもたちは寄宿していますが、一日一食で、具の入っていない、ほとんど水だけのスープを食べられるだけです。
当然ですが、食べていなので元気がありません。
言葉はよくないかもしれませんが、食べられないことでやさぐれてしまうのです。
お腹が空いて集中できないから遊んでしまう。サッカーをしてなんとかやり過ごしているという現実があります。

教育の場として存在していることは存在していますが、十分に機能はしていません。
そんな状況ですので、「将来、何をやるの?」と尋ねても、子どもから答えは返ってきません。

現在の状況では、こういう本当に資金を必要としている人たちに援助の手が届いていません。
世界が食糧危機になったとき、真っ先に直接の影響が出るのがこうした領域であると思います。
私の友人のIT企業の経営者が協力してくれて、いくらかの支援をすることはできましたが、それでも限りがあります。

貧困から脱出しようという意欲が個人レベルでも非常に高い

(影山)
現地を訪問された、全体的な感想を教えていただけますか。

(小暮)
そうですね、国としての貧困から脱しようというエネルギーは感じることができました。
ただ、もちろん余裕があるわけではありませんので、食糧危機など、少しでも逆風が吹くとすぐに厳しい状況になってしまいます。

例えば先ほどの障害者の学校がある地域などでも、農地があり、食べ物自体はあるのです。
ただそれを運ぶためのロジスティクスがないのです。道路の問題、車の問題、冷蔵機能の問題などですね。

例えば、マバラという地域ではマンゴーなどのフルーツが取れます。
北部には難民がいるので、そこに持っていけば需要があるのですが、ロジスティックが悪いので、食べられる状態でそこまで持っていくことができません。ましてや、そこから海外に、ということはほとんどできないのが現実です。

政府には道路をつくることでの短期的な利益が見えないので、作ることに積極的ではありません。

つまり、ビジネスの機会はあるけれど、資本が圧倒的に不足しているという状態なのです。

このことにはイメージも影響していると思います。アフリカといえば内戦、難民というイメージで捉えられてしまう傾向があるように思います。
もちろん一定のリスクがあることは事実ではありますが、それを上回るくらいのビジネス機会もあるように思いました。

(影山)
社会インフラがない、またそれを構築するためのリスクマネーがないということですね。
インフラを整備するための長期投資というと、例えば世界銀行からの融資など思い浮かびますが、活用されていないのですか。

(小暮)
う~ん、世銀のお金ですよね。どこに行っているのでしょうか。
これは世銀に限ったことではありませんが、道路などのインフラへの投資は、直接的に「イコール子どもの笑顔」となりにくい面があるのかもしれません。

また支援にあたる国際機関のスタッフに、もう少しビジネスマインドがあるといいのかもと思います。
人道的・緊急的な支援はそれはそれでとても重要なことですが、あわせて中長期的な視野で自立的な経済をつくっていくため、今どういう投資を行う必要があるのか、そういう議論がもっとあっていいと思います。

例えばウガンダは今、起業ブームです。南アフリカのそこそこの銀行に勤めていた人が辞め、起業したりしています。

多いのは観光産業です。観光産業が増えてくれば、道路が整備されていくかもしれない。政府を動かすこともあるかもしれないですね。

ただ、海外留学組は、給料が高い国際機関に行ってしまう傾向があるようです。

ビジネスは当たれば経済的にも大きいですが、安定的ではありません。
ですので、国内で教育を受けた優秀な人が起業するケースが多いようです。

(第3回に続く)

 

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