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2010年8月20日 01:50

[セキュリテ]

純米酒ファンドが必要とされたわけ

どうもこんにちは。影山です。
「セキュリテラジオ」なるサイト、はじまりましたが
果たしてどのように育っていくのか、いかないのか…
どうかこれから、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

さて、今日のテーマは、純米酒ファンド。

 

セキュリテラジオ、第1回オンエア
「セキュリテラジオがはじまります。」の中で
純米酒ファンドについて一部触れさせていただいたのですが
少し舌足らずだったなと反省している点がありまして。

 

ひとつは、お酒の種類の説明について。

 

純米酒と吟醸酒を比較してお話しせせていただいたのですが
正確には、純米酒と本醸造酒とを対比させてご説明するべきでした。

[ Wikipedia より 「日本酒」 ]
http://ow.ly/2rYw2

 

純米酒とは、
精米歩合70%以下の白米、米麹および水だけを原料として製造した清酒で、
香味及び色沢が良好なもの。

 

本醸造酒は上記に醸造アルコールを添加したものですね。

 

そして吟醸酒とは
精米歩合を60%以下にまで磨き込んだもの。
中でも、醸造アルコールを添加しない吟醸酒を
純米吟醸酒と呼ぶのですね。

 

この場を借りまして、説明、補足させていただけましたらと。

 

そしてもうひとつは、なんで純米酒ファンドができたのか、というご説明について。

 

ラジオの中では
「醸造アルコールを添加しない分
(使用するお米の量が増え、)原価が高くなるから」
とお話しさせていただいたのですが
これでは、端的に言ってしまうと
「商売としてもうからないから」→「お金が借りられないから」
と受け取られてしまいかねないなと。

 

もちろんそういうことではありません。

 

確かに原価が高くなることは事実ですが
それでもそれ相応の付加価値をきちんと受け取り
酒蔵のみなさんは、
それぞれ商売としてきちんとまわしていらっしゃるわけです。

 

それでは、全量純米蔵を目指す会さんが
純米酒ファンドを必要としてくださった理由は何なのか。

 

それは、お酒を熟成させる「時間」を手に入れるためです。

 

かつて、ミュージックセキュリティーズ社が
全量純米蔵を目指す会の代表幹事
神亀酒造の小川原専務にお話を伺った際の
インタビュー録が残っています。
http://www.musicsecurities.com/blog/artist_article.php?ba=b10760a30518

 

(スタッフ)
「目指す会」として、どうして、ファンドを活用しようと思われたのですか?

 

(専務)
「全量純米蔵」に転換するために必要となる資金需要をサポートし、旨い熟成された純米酒を消費者の方に届けるためです。

 

純米酒は、使用する米の量が増えるため原価が高くなります。そして、純米酒の本来の価値を発揮するためには、2~3年間の熟成が必要です。ただ熟成させるということは、製造した年には出荷できず売上をあげられなくなる。

 

既に熟成酒の在庫を毎年している蔵であれば、毎年2~3年前に製造した純米酒を出荷していけば問題ありませんが、これから転換していこうとする蔵には、そんなこれまでの熟成在庫はないので、次の年の仕込みの資金を得るためには、製造した年に出荷してしまうか、ある程度量を減らすしかない。

 

これでは、純米酒の熟成在庫がなかなか増えず、熟成純米酒を消費者に届けられなくなってしまう。これが全量純米蔵に転換する上での一つの課題でした。

 

では、その熟成在庫を担保に金融機関から借入れができるかというと、なかなかこれも難しい。

 

そこで、こういった純米酒を製造するための米代や熟成期間中などを資金面で支援していただけるのは、純米酒ファンの個人なのではないか、と考えたのです。

 

(後略)-----

 

実際に、世で初めて形となった純米酒ファンド「神亀ひこ孫ファンド」では
個人の方々から1口5万円でご出資いただいた資金を元手に仕込米を購入。
お酒を醸造しました。

 

ファンドの償還は4年後。
つまり、お酒の熟成期間分、待っていただくわけです。

 

ただし、期間中には出資者特典があり
毎年4月、熟成途中のお酒の小ビンが送られてくるという趣向となっています。

 

まさに、年々、年ごとの変化を、一緒になって味わえるわけですね。

 

実際これまでに、こうした純米酒ファンドが8つ形になり
今この瞬間も、日本の各地でお酒の熟成が進んでいます。

 

ということは、ひょっとしたら
これからもう少し時間が経つ中で
「日本酒は、熟成させたものを飲む」というひとつの食文化が
日本の各地で今以上に見られるようになっているかもしれませんね。

 

2010年3月23日 21:31

[コレクティブな力]

デンマーク報告記(3) ~話し合えばなんとかなる?~

先回のエントリで

デンマークが「世界一幸せな国」とされる、ひとつの背景として

 

> 自分が手を挙げたり、何か発言をしたりすれば

> それを受け止めてくれる人や仕組みが存在し

> 話し合いを通じ、「納得感」のある答えにたどり着けるという構造が

> 類まれに成立している社会なのではないかと、感じたのです。

 

と書かせていただきました。

 

そして、そのことをもっと端的に表現してしまえば

「話し合えばなんとかなる」と

感じられる、ということではないかと思っています。

 

みなさんのまわり、いかがですか。

「話し合えばなんとかなる」こと、多いですか?

 

会社、家族、友人関係、サークル、地域コミュニティ・・・

 

たとえば、友人関係やサークル辺りであれば

「話し合えばなんとかなる」、成立しているような気も?

 

ただ、友人関係では

それほど深く、複雑な話し合いはしないという面も

あるかもしれませんね。

(友人によりますね)

 

 日本のエネルギー自給率を高めるにはどうしたらいいか、とか

 地方分権を成り立たせるにはどうしたらいいか、とか

 起業家が輩出される社会にするにはどうしたらいいか、とか

 孤独死をなくすにはどうしたらいいか、とか

 ゴミの分別はどこまでやるのか、とか

 

ちょっと極端かもしれませんが

そんなに簡単には答えが出ないような問いについて

つまり、どの道を選んだとしても

費用があり、便益があり、価値判断が問われる

そういった問いに対して

話し合いの中から方向性を導き出すことができるか。

 

こうした話し合いをうまく進めるためには

技術と関係性とが必要であると、常々感じています。

 

まず技術という側面から考えてみると

詳細に挙げれば、様々な要素があるかと思いますが

一番大きいのは「課題を構造化する力」ではないかと思っています。

 

例えば、「通勤時間を短くするには」という問いがあったとき

「自転車を使えばいい」とか

「早起きをして、ラッシュアワーを避ければいい」とか

「答え」を考えてしまうのではなく

せめて、「通勤時間=距離÷速度」と整理して

どこに改善余地があるかを探していくような思考能力のことですね。

 

もちろん算数的に分解するやり方に限らないですが

自分たちの議論が

どういう見取り図の、どの部分についてのものなのか

それが整理されるだけでも

ずい分やり取りが建設的になるのではないかと思います。

 

 

そしてもうひとつは、関係性。

 

建設的な討議を妨げる大きな要因として挙げられるのは

「ヒエラルキー」と「エゴ」、

そして、あえて言うのであれば

「感情的な摩擦」ではないかと。

 

ヒエラルキーが強く作用してしまうと

例えば「部長の言うことには逆らえない」とか

「自分は下っ端だから、意見は慎もう」とかいう具合に

上が決め、下が従うという方向に

討議が引っ張られる可能性が強くなりますね。

 

つまり、「正しい答え」に向かって

フラットに意見をぶつけ合うという可能性が

縮減されてしまうという面があると思います。

 

一方、エゴとは、

自分にとっての短期的な利益しか主張しない

というような状況と説明できるでしょうか。

 

例えば、ある税金の案があって

その案が通ると、直接的・短期的には

支払う税金の額が増えるという人が

その案にひたすら反対となってしまう

というようなケースがそれにあたるかと思います。

 

自分の短期的な費用を受け入れることで

共通の便益が改善し

中・長期的には、それが自分にとっての便益にもなる。

 

日本の消費税をめぐる議論などは

そういう面があるように思います。

 

誰もがバラ色に満足という答えが得にくい条件下にあって

なんとか「落としどころ」を探そうとする話し合いのプロセスも

エゴが強く作用してしまうと

簡単にシャットアウトされてしまうことがあると思います。

 

そして、自分の限られた経験からの見解ではありますが

大企業、大組織においては「ヒエラルキー」が

政治においては「エゴ」が

それぞれ建設的な問題解決を

妨げてしまっているケース、多くないでしょうか。

 

加えて、話し合いの参加者の間に

相互不信、感情的なすれ違いがあると

そもそも議論のスタート地点に立てないというようなことも

あったりしますよね。

 

 

つまり

「話し合えばなんとかなる」に近づくためには

課題を構造化する技術と

ヒエラルキー、エゴ、感情的な摩擦を超える関係性

が必要なのではないかと。

 

そして、特に後者──関係性について考えたとき

自分が見聞きしてきたデンマークは

日本より先を行っている印象があるなあと。

 

「それぞれが自分の意見を持ちながら

共通の利益にも配慮しつつ

建設的な話し合いを積み重ねられる」関係性。

 

誰かが意見を押し付けるのではなく

誰かが頑なに譲らないのでもなく。

 

会社において、政治において、生活において。

 

 

そして自分が、NPOコレクティブハウジング社を通じて

生活の場でつくり出そうとしているのも

こうした「コレクティブな関係」であるわけなのですが。

 

こうした関係性が構築できたなら

導き出される「答え」への納得感

大きく違ってくるように思います。

 

プロセスに参加することへの前向きさも

大きく変わってくるように思います。

 

そして多くの関係者の思考のフィルターを経由することで

より優れた(その評価軸はいくつかあるにしても)

答えに近づける可能性も

高まってくるのではないかと思います。

 

 

もちろんこうした議論は「幸福感」の

ひとつの側面でしかないことも自覚しています。

 

食べるに困らないこと

寝る場所に困らないこと

そういった基本条件を整える意味からも

1人あたりGDPの成長も、

重要な課題であると思っています。

 

あるいは、こうした議論以前の

苦境に直面している、という方もいると思います。

 

ですが、日本社会のいくつかの面が

「話し合えばなんとかなる」状況にないことは

経済停滞や政治不信、社会不安の

原因のひとつにもなっているように思いますし

経済成長、物質的な豊かさの先にあったはずの

日本がどこかで見失ってしまった「幸福感」に近づくためにも

こうした関係のつくり直しこそ

重要な要素なのではないかと考えているのです。

 

 

長くなってしまいました(笑)

 

デンマーク訪問を機に考えたこと

3回にわたって書いてみました。

 

また次回以降、違った視点から

まとまるような、まとまらない話

つづっていこうと思います。

2010年2月10日 16:20

[コレクティブな力]

デンマーク報告記(2) ~納得感と自己肯定感~

前回に続きまして、デンマーク報告を。

 

彼の国がしばしば「世界一幸せな国」として参照されること
前回のエントリでご紹介させていただきました。

 

それは一体どうしてなのでしょうか。
今回は、その問いへの自分なりの答え、
書かせていただければと思います。

 

それは、
「コレクティブな関係」が広範に成立している国だからではないかと。

このテーマを、ここから2回にわたって、考えてみたいと思います。

 

 

そもそも人はどのようなときに「幸福感」を感じるのでしょうか。
そこを体系的に語るには
自分、まだまだ力不足に過ぎるのですが
ひとつの視点としてあるように思うのは
生きる上で、「思うようにならない」と感じることが少ないこと。

 

誰しも生きていれば
納得できないこと、理不尽さを感じること、違和感を感じること、あると思います。
それを受けて人は、嘆くか、落ち込むか
その解消に向けて行動するのだと思いますが
実際にはなかなかそうはうまくいかないこと、多いのではないでしょうか。

 

 なんで税金、こんなに高いんだろうとか
 来月からの仕事、どうしようとか
 朝の満員電車、ちょっとしゃれになってないとか
 なんで上司って、こうも不愉快なんだろうとか
 なんで大学3年の秋になると、みんな一斉に就職活動するんだろうとか

 

特にそれが、会社、政治、教育制度など
社会の仕組みに関わるようなことになってくると
「ああ、どうしようもない」と、
無力感さえ感じてしまうこと、あるのではないでしょうか。

 

例えばそうしたことは、
選挙の投票率などにも表れてくるように思います。

 

昨年9月の第45回衆議院議員総選挙の投票率は約69%
これは、前回、小泉政権時の「郵政民営化」選挙のとき(67.5%)を上回り
過去19年間で最も高い投票率となりました。

 

ですが、それでもまだ、約3分の1は票を投じていない計算になります。

 

また数年前、第41回、第43回の総選挙の際の投票率は
60%を下回ってしまっていました。

 

もちろん、規模も違いますし、単純な比較はできませんが
デンマークにおいては、
1953年、現行のデンマーク憲法が施行されて以来
過去21回の国政選挙において
その投票率が80%を下回ったことが一度もないそうです。

 

自分が投票したり、発言したり、何か行動を起こすことで
何かが(いい方向に)変わると思えるのであれば
人は動くことにとても前向きになれると思います。

 

一方、自分が何かしたところで・・・と感じてしまうと
その逆の方向に力が働きますね。

 

上記は、国政選挙を例に取りましたが
デンマークという国は
ひょっとしたら、政治においても、職場においても、
教育現場においても、日々の生活においても
自分が手を挙げたり、何か発言をしたりすれば
それを受け止めてくれる人や仕組みが存在し
話し合いを通じ、「納得感」のある答えにたどり着けるという構造が
類まれに成立している社会なのではないかと、感じたのです。

 

理不尽さや、違和感や、無力感の対極にある「納得感」。
そして、いざとなれば
自分の行動でシステムを変えることもできると感じられる「自己肯定感」。

 

これらが、彼の国の「幸福感」の背景にある
ひとつの重要なファクターなのではないかと思ったのです。

 

(つづく)
デンマーク報告記、第3回は、「話し合えばなんとかなる?」を予定しています。

2010年1月27日 10:37

[コレクティブな力]

デンマーク報告記(1) ~世界一幸せな国~

「私ごとながら、明日から、北欧(デンマーク、スウェーデン)に行ってきます。」

 

と言い残してから、はや4ヵ月半。

もちろんとっくに日本に帰ってきております(笑)

 

といいますか、8日間のツアーだったわけでして

その後の筆無精、誠に申し訳ありませんでしたm(_ _)m

 

これからはもっとコンスタントに

徒然、記させていただこうと思います!

 

さて、その復活第1弾は

流れをつなぐ意味でも、北欧報告を。

まずは、デンマークから。

 

デンマークといえば、「世界一幸せな国」。

 

2006年、イギリス、レスター大学の社会心理学者

エードリアン・ホワイト氏による研究の結果

「国民の幸福度」ランキングにおいて

デンマークが1位になったことが発表されました。

(ナリナリドットコム:http://www.narinari.com/Nd/2006076284.html

 

詳細な集計方法は未発表ながら

この調査は、どちらからという「客観的な」指標

国際機関等から発表される各種データを分析した結果とのこと。

 

ちなみに日本は、178ヶ国中90位・・・

 

一方、その2年後

どちらかという「主観的な」満足度を測定した調査として

米、ミシガン大学の政治学者、

ロナルド・イングルハート氏の研究成果が発表されました。

(同:http://www.narinari.com/Nd/2008079755.html

 

ここにおいても、デンマークは世界1位!

 

日本はやはり、97ヶ国中43位・・・

 

やや脱線ながら、こちらの調査結果では

プエルトリコが2位、コロンビアが3位

一瞬、えっ!?と思いましたが

「いま自分が幸せか」という問いにどう答えるかには

やはり単に経済的に豊かかどうか、ということとは

きっと別の要因も作用してくるのでしょうね。

 

人生をエンジョイすることが、どれだけ上手か、というような。

 

 

そして、これらの調査のいずれにもおいて

「世界一幸せな国」として名前が挙がるのがデンマーク。

 

それはいったい、どうしてなのでしょうか。

 

(つづく)

2009年8月31日 08:27

[セキュリテ]

北欧に行ってきます。

私ごとながら、明日から、北欧(デンマーク、スウェーデン)に行ってきます。

 

自分が現在、代表をやらせていただいてる
NPO法人コレクティブハウジング社のメンバーと
http://www.chc.or.jp/
現地のコレクティブハウスを回り
実際に住んでいらっしゃる方たちとも、交流してくる予定なのです。

 

・・・というタイミングに合わせ
彼の国々について少し調べていたのですが
ひとつ知って驚いたのは、
「高い税金、高い給付」、高福祉国家としてのイメージが強い両国が
実は高い経済成長も実現している国であるということ。

 

2008年1月12日発刊の週刊東洋経済によると・・・

 

1993年から2006年までの13年間に
(なぜこの期間で計算するかについては要検証ですが)
日本は1人当たりGDPを1.7%減らしているそうです。

 

一方、同期間において
デンマークは、1人当たりGDPが1.87倍、スウェーデンは1.83倍。
ちなみにノルウェーは2.64倍など。
まさに値を「倍増」させているのです。

 

さらにはこうした国々
「世界一幸福度が高い」国としてもしばしば名前が挙がりますね。

 

どうしてこうしたことが実現できたのか。
その要因については、様々な角度からの検証が
必要なのだろうと思いますが
ひとつ、個人的になるほどと思ったのが、産業構造の視点。

 

  国内の総生産は総支出(需要)とバランスする。
  高齢化が進む成熟社会では、
  福祉産業に対する需要は大きい。
  スウェーデンの社会保障支出の総額は約14.5兆円で、GDP比32%
  就業者の割合を見ても、
  福祉産業を含めた「対地域・社会・個人サービス」は38.3%
  (2004年、日本は22.1%)
  つまり、産業構造が国内の需要と一致しやすい構造になっているのだ。
                    「週刊東洋経済 2008.1.12」

 

つまり国内の人々が必要する財に向かって
国内の生産が行われているということですね。

言い換えれば、経済が国内で循環しているということでしょうか。

 

方や日本では、輸出産業を中心に職を失う方が出ているというのに
子育てや介護、あるいは広い意味での住環境といった福祉領域では
質・量ともに十分なサービスが得られているとは言い難い状況ですね。

 

せっかく、国内で需要があるのに
そこに資源が振り向けられていない、ということなのでしょうか。

 

そして、デンマークやスウェーデン、内需一辺倒かというともちろんそうではなく
IKEAやH&Mがあるように、経済の国際競争力も高く
貿易によるGDPへの貢献も大きいとのこと。

 

なんだか、順調そうですね(笑)

 

じゃあ日本も大きな政府を目指すのかというと
それもなあ、とは思います。
政府セクターの生産性が、現時点では高いと思えないですから。

 

例えば、小さな政府でありながら
つまり税金を経由しない形でありながら
こうした内需に応える福祉産業を育てること、難しいのでしょうか。

 

手前味噌ながら、そこにはセキュリテのような仕組みの役割も?

 

日本のこれからを考える上で、ヒントになりそうなこと
探してきたいと思います!

 

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