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2010年2月10日 15:55

[対談:小暮真久×影山知明]

対談:変わりゆく価値観のなかで 2/3

これまでのなかでは、幸せ度でいえばマックスに近い

(影山)
TFTへの最初の出社日はどうでしたか。

(小暮)
自分の役割は「運営の基盤をつくること」でした。「とにかく、採用してくれる企業を増やさないと」という思いでしたね。日中は自分が営業に出て、夜はミーティングという毎日でした。周りにNPOの人たちもいたので、分からないことがあれば、その人たちに聞いていました。

6月にTFTを本格的に始めて、3ヵ月後に大連での大きな発表の機会が予定されていました。そこまでに何らか形をつくれればという思いでしたね。創業の理事メンバーとの会議を月に1~2回持ちながら、進めていきました。

(影山)
それ以外のところは、小暮さんが決めていたのですか。

(小暮)
理事会は理事会でありますので、自分でどこまで決めていいのか迷う部分はありました。その辺りのルールや進め方など、模索した時期でもありましたね。

(影山)
TFTに移られてから約2年が経過しました。ざっと振り返ってみて、いまの人生の調子はどうですか(笑)。

(小暮)
これまでの中で言えば、幸せ度マックスに近いですね(笑)。いまも経営的に大変な部分はありますが、最初の1年、なかなか先が見えない状況の方が苦しかったですね。採用企業が全然増えていかない時期もありました。まあそれでも常に「この仕事、おもしろいな」というのはありましたけどね。

1年くらいが経って、ちょうど今の事務所に引っ越してきた頃、ティッピングポイント(閾値)というか「ステージが変わったな」との感覚を持つようになりました。そのきっかけの1つは、2008年にメタボ検診が始まったことでもあったと思います。

また自分にとっては、今年1月にマラウィに行ったことも大きな転機になりました。マラウィは本当に貧しく、またエイズが蔓延していて、どうなっちゃうんだろうという国ではあります。でも人がよく、彼の国を訪れた人はみんなマラウィファンになるというくらい、何かがある国でもあります。中にはアフリカ1だというような人もいますね。でも貧しいのは事実で、自分やTFTはまだまだ力になれていなかった。支援金額も、ひとケタ、ふたケタ上げていかないと。そういう意味でTFTの活動に向けて、より腹の据わる、いい機会になりました。

自分自身を使うことによって、TFTに関心をもってもらう

また当時、本を書いていたこともあって、メディアを活用できたらと考え始めていました。社会起業家関連の本はすでにありましたけれど、ビジネス的なもの、ビジネスパーソンにも手にとってもらえるようなものはあまりないと思いましたので。自分自身が出ることで、TFTを知ってもらえるきっかけになるのであれば、そうしようと。実際にそのお陰もあって活動が広がり、マラウィに給食ステーションを建てることもできました。

(影山)
昨日(8月29日)はワールド・ビジネス・サテライトでも採り上げられていましたね。先日は取材で滝川クリステルさんにも会われたということですし。こうしてメディアに出るようになって、やはり営業など、大きく変わりましたか。

(小暮)
劇的に、ということではありませんけれどね。でも、「知らない」と言われることはかなり少なくなってきたと感じています。おかげさまで、知ってもらうための資料は少なくて済むようになってきました。

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