[コレクティブな力]
デンマーク報告記(3) ~話し合えばなんとかなる?~
先回のエントリで
デンマークが「世界一幸せな国」とされる、ひとつの背景として
> 自分が手を挙げたり、何か発言をしたりすれば
> それを受け止めてくれる人や仕組みが存在し
> 話し合いを通じ、「納得感」のある答えにたどり着けるという構造が
> 類まれに成立している社会なのではないかと、感じたのです。
と書かせていただきました。
そして、そのことをもっと端的に表現してしまえば
「話し合えばなんとかなる」と
感じられる、ということではないかと思っています。
みなさんのまわり、いかがですか。
「話し合えばなんとかなる」こと、多いですか?
会社、家族、友人関係、サークル、地域コミュニティ・・・
たとえば、友人関係やサークル辺りであれば
「話し合えばなんとかなる」、成立しているような気も?
ただ、友人関係では
それほど深く、複雑な話し合いはしないという面も
あるかもしれませんね。
(友人によりますね)
日本のエネルギー自給率を高めるにはどうしたらいいか、とか
地方分権を成り立たせるにはどうしたらいいか、とか
起業家が輩出される社会にするにはどうしたらいいか、とか
孤独死をなくすにはどうしたらいいか、とか
ゴミの分別はどこまでやるのか、とか
ちょっと極端かもしれませんが
そんなに簡単には答えが出ないような問いについて
つまり、どの道を選んだとしても
費用があり、便益があり、価値判断が問われる
そういった問いに対して
話し合いの中から方向性を導き出すことができるか。
こうした話し合いをうまく進めるためには
技術と関係性とが必要であると、常々感じています。
まず技術という側面から考えてみると
詳細に挙げれば、様々な要素があるかと思いますが
一番大きいのは「課題を構造化する力」ではないかと思っています。
例えば、「通勤時間を短くするには」という問いがあったとき
「自転車を使えばいい」とか
「早起きをして、ラッシュアワーを避ければいい」とか
「答え」を考えてしまうのではなく
せめて、「通勤時間=距離÷速度」と整理して
どこに改善余地があるかを探していくような思考能力のことですね。
もちろん算数的に分解するやり方に限らないですが
自分たちの議論が
どういう見取り図の、どの部分についてのものなのか
それが整理されるだけでも
ずい分やり取りが建設的になるのではないかと思います。
そしてもうひとつは、関係性。
建設的な討議を妨げる大きな要因として挙げられるのは
「ヒエラルキー」と「エゴ」、
そして、あえて言うのであれば
「感情的な摩擦」ではないかと。
ヒエラルキーが強く作用してしまうと
例えば「部長の言うことには逆らえない」とか
「自分は下っ端だから、意見は慎もう」とかいう具合に
上が決め、下が従うという方向に
討議が引っ張られる可能性が強くなりますね。
つまり、「正しい答え」に向かって
フラットに意見をぶつけ合うという可能性が
縮減されてしまうという面があると思います。
一方、エゴとは、
自分にとっての短期的な利益しか主張しない
というような状況と説明できるでしょうか。
例えば、ある税金の案があって
その案が通ると、直接的・短期的には
支払う税金の額が増えるという人が
その案にひたすら反対となってしまう
というようなケースがそれにあたるかと思います。
自分の短期的な費用を受け入れることで
共通の便益が改善し
中・長期的には、それが自分にとっての便益にもなる。
日本の消費税をめぐる議論などは
そういう面があるように思います。
誰もがバラ色に満足という答えが得にくい条件下にあって
なんとか「落としどころ」を探そうとする話し合いのプロセスも
エゴが強く作用してしまうと
簡単にシャットアウトされてしまうことがあると思います。
そして、自分の限られた経験からの見解ではありますが
大企業、大組織においては「ヒエラルキー」が
政治においては「エゴ」が
それぞれ建設的な問題解決を
妨げてしまっているケース、多くないでしょうか。
加えて、話し合いの参加者の間に
相互不信、感情的なすれ違いがあると
そもそも議論のスタート地点に立てないというようなことも
あったりしますよね。
つまり
「話し合えばなんとかなる」に近づくためには
課題を構造化する技術と
ヒエラルキー、エゴ、感情的な摩擦を超える関係性
が必要なのではないかと。
そして、特に後者──関係性について考えたとき
自分が見聞きしてきたデンマークは
日本より先を行っている印象があるなあと。
「それぞれが自分の意見を持ちながら
共通の利益にも配慮しつつ
建設的な話し合いを積み重ねられる」関係性。
誰かが意見を押し付けるのではなく
誰かが頑なに譲らないのでもなく。
会社において、政治において、生活において。
そして自分が、NPOコレクティブハウジング社を通じて
生活の場でつくり出そうとしているのも
こうした「コレクティブな関係」であるわけなのですが。
こうした関係性が構築できたなら
導き出される「答え」への納得感
大きく違ってくるように思います。
プロセスに参加することへの前向きさも
大きく変わってくるように思います。
そして多くの関係者の思考のフィルターを経由することで
より優れた(その評価軸はいくつかあるにしても)
答えに近づける可能性も
高まってくるのではないかと思います。
もちろんこうした議論は「幸福感」の
ひとつの側面でしかないことも自覚しています。
食べるに困らないこと
寝る場所に困らないこと
そういった基本条件を整える意味からも
1人あたりGDPの成長も、
重要な課題であると思っています。
あるいは、こうした議論以前の
苦境に直面している、という方もいると思います。
ですが、日本社会のいくつかの面が
「話し合えばなんとかなる」状況にないことは
経済停滞や政治不信、社会不安の
原因のひとつにもなっているように思いますし
経済成長、物質的な豊かさの先にあったはずの
日本がどこかで見失ってしまった「幸福感」に近づくためにも
こうした関係のつくり直しこそ
重要な要素なのではないかと考えているのです。
長くなってしまいました(笑)
デンマーク訪問を機に考えたこと
3回にわたって書いてみました。
また次回以降、違った視点から
まとまるような、まとまらない話
つづっていこうと思います。






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